震災後2

 物流が郡山市では平常に戻りつつあり、商品の偏りはあるが、日常生活には困らないレベルの日用品が購入できるようになっている。特に宅配便の再開は助かった。大型家電量販店の大半が被災により店を開けず、PC関係の消耗品が補充できない状態は不便だったからだ。市内の大型書店も建物が損壊していて、頼りはネット書店かジュンク堂のみ。本と言えば、市内の公立図書館は全て閉館中。再開のめどが立っていない。

 4月11日から市内の小中学校でやっと授業が再開。丸1カ月の長い休校ですっかりうちの子は家っ子になってしまった。学校では屋外での活動は控えられ、中学校の給食は市内の給食センターが被災したため、お弁当持参。

 4月12日、東京電力福島第1原発事故が国際原子力事象評価尺度で「レベル7」に政府が引き上げたと発表。「フクシマ」という地名がチェルノブイリ原発事故と同じ意味で世界に認識されることになった。ああ。
 ところで、福島県内にある原子力発電所はなぜ、福島第2、第1という名前なのでしょう?

 他の日本国内の原子力発電所はすべて立地している自治体の地名なのです。東北電力柏崎刈羽東北電力女川、中部電力浜岡、日本原子力発電敦賀関西電力美浜、北陸電力志賀とか。
 ご存じのように福島第1も第2も福島市にあるわけではない。

 昨日、行きつけの化粧品屋さんを震災後初めて訪ねた。オーナーは多賀城市の実家が津波で被災し、避難所で1週間暮らしていたという。夜は耳元で足音が響き、熟睡できなかったらしい。避難所の人々や子どもたちはみんな明るくて救われたとご本人も大変だったろうに、淡々とお話をしてくれた。

 NHKのラジオ。こちらは被災地特別編成。避難所にいる方などに向けての地域の生活情報が全国版の番組に決まった時間から入りこむ。午前中は東京ではゲストを迎えてじっくり話を聴く番組があるのだが、どんなに話が佳境に入っていても当然のようにカットインする。先日は桂枝雀の落語の放送中にばっさりカットイン。
 避難所でもその番組に耳を傾けている人も多かったのではないでしょうか。もう少し東京のNHKと福島局で連携してうまく編成できないものか? 途中でばっさり放送が切られるストレスはけっこう大きいものですよ。

震災後1

 東北関東大震災/東日本大地震東日本巨大地震(など、まだ用語が統一されていないです)とにかく3月11日の大地震と大津波の後のことについて。

 たくさんの方、便りがなかった懐かしい方からも心配のご連絡をいただいた。

 福島県郡山市の我が家。家具が少し移動。本棚の本が床に散乱。実家は家具ごと倒れていたが全員無事。市内の古いビルや、商業施設は1階部分がつぶれていたり、奇をてらった形の屋根が斜めにひしゃげていたり、地域単独の地震であれば相当インパクトが強い、大きな被害を受けている。が、太平洋沿岸地域の被害の大きさに比べれば、相対的には被害は少ない所だ。

 私の住むところは、断水やガスも止まらず、停電もなかったので、きわめて恵まれている。ただ、他の地域と同じく、ガソリンが不足。毎日スタンドから車の長い列で道路の1車線が埋まっている。

 震災直後の第一福島原発の事故があり、避難地域(20km)、屋内退避(30Km)の措置が取られているが、郡山市内の人でも私の家の隣の人や、子どもの塾の先生も首都圏に自主避難している。
 塾は、公立の学校に準じて塾は震災後休んでいる。首都圏に避難した塾の先生からの電話では、「放射能は見えないだけに怖いからしばらく休む」といっていた。
 郡山市内に残っている塾生の親にそんなことを平気で言う。「マイクロシーベルトだから人体に影響する確率の何千分の一だ」という理解より、見えないものだから怖いというのは、数学を得意とする先生なのに何のための学問なんだとも思ったが、ものごとの捉え方、センスの違いだろう。しばらく戻らないつもりか。
 
 とりあえず、避難圏外だから避難しないとしか、言えない。圏外なのに率先して避難するだけの理由が見つからない。私はまだ地域との繋がりが希薄な方だが、家族はそうではない。地域の中で必要とされているからだ。
 
 今日現在は、空中の放射能濃度が第3号機の東京消防庁による注水活動以前より半分の数値となっている。
 しかし、郡山市の値は、測定の仕方を間違っていたらしく(地上で図るべきものを、建物の3階で計測していた)1.5マイクロシーベルトぐらいだったここ数日の値はすぐに3倍ぐらいになった。
 
 福島県産の野菜の一部に摂取制限が出たことは、本当に残念だ。昨年から、農家の方々に話を聞く機会があり、何人もの人にお会いしてきたが、みんな自分の畑に手をかけ、おいしいく収穫できるように心血を注いでいる人ばかりたちだった。お電話で話した方は「本当に悔しい」と言っていた。県単位の産地表示は早く止めて、せめて被爆量の少ない会津の作物は出荷できるようにして欲しい。地元でたくさん野菜が取れるのに、地元野菜が食べられないのは本当に寂しい。
 今後の営農計画もぎりぎりまで待つように指示されている。お米もそろそろもみを水に浸して発芽させる時期だが、土壌汚染の影響が予測できない今、それらの予定が止まってしまっている。

 春の高校野球が開幕し、仕事中の情報源としていたNHKのラジオが頼りにならなくなったので(高校野球にはむかしからまったく興味がない)、民放のラジオ福島に切り替えてみた。平穏な時はほとんど聴く事がない局だったが、逐一地元の情報が入って本当にありがたい。

 番組では、福島県から「放射線リスク管理アドバイザー」として委嘱された長崎大学大学院教授山下俊一教授の講演会の模様をを何度も流している。放射能の影響についてどのレベルで心配するべきかを冷静にわかりやすく、やさしく話しかける声は まるで生活苦にあえぐ未開の地に降り立った、布教活動をしている宗教家のようでもある。
 その講演会での質問をする方の話も、一つ一つ心配のあり方が現実的で身につまされる。地元に留まって頑張る人々に胸を打たれる。

 ただ、福島第一原発の冷却作業が思っているよりはるかに時間がかかり、月単位になってくることがうすうすわかってきた。蓄積する放射能物質量がどのくらいになるのか、またSPEEDIヨウ素の広がりのシュミレーションでは、同心円状に拡散されていないことが予想されているため、実際には放射能物質の濃度が高いところが距離だけでは予測しにくい。

 安心してくださいという地元のラジオのメッセージと、(震災後、radikoアプリでここでも聴けるようになった)の在京ラジオ局で宮台真治氏などが言っていることは間逆で、戸惑うことも多い。危ないのか。だとしたらどうしろというのだ。

 だからたまに知人から電話があって「どっか避難しないんですか?」と軽く言われると本当に過敏になってしまうのだ。
 放射能を理由に退避圏内でもないのに、避難したらいつ戻ってこられるのか。その判断はどう自分の中で折り合いをつけるのか。


 燃料が手に入らないため無駄な外出を控えているためか、店舗が半分も空いていないためか、街は寂しい。夕方、信号待ちの交差点の車が本当に少ない風景をみて、ああ、内側に今いるんだなあと思った。

 放射能の値(シーベルト)は、細胞を傷つける影響度である。細胞はストレスでも傷つく。

 被災後のみなさんの日々のストレスはいかばかりだろう。

 震災直後には想定できなかったことが幾重にも起こり、とまどっているので、久しぶりに書いてみました。

 来週には営業しているかもと思っていた行きつけの化粧品店のオーナーから、実家が多賀城市津波に遭い、交通事情や燃料事情で帰ってこられないと電話があった。

 本当にたくさんの人が災害に直面しているし、その影響をみんな少しずつ受けている。
 まだまだ、ままならないことばかりです。
 
 

幸せな池袋演芸場

 今月の池袋演芸場の上席の番組を見たら、柳家喬太郎三遊亭白鳥柳家喜多八、漫才のロケット団の名前がありました。日によって出演者が変わることもあるらしいのですが、落語鑑賞暦が浅い私でも知る名前のラインナップに、これは行ってみたい!と、上京しました。
 昼で用を済ませ、1時からの喬太郎の出演に間に合うように池袋演芸場に飛び込みました。もしかして、「満員御礼」で入れないのかも、と心配したのですが、前座の出演時間だったためか、まだ半分ほどの入り。スーツを着た勤め人の姿もちらほら。「仕事の合間にちょっと寄席でも」ということですか。いいですね(あたしもだけど)。
 初めて入った池袋演芸場。客席と舞台が近くてびっくり。こんな近くで見ていいんですかー! 来月のホール落語のチケットも購入し、生で落語を聴くことが、とりあえず来年も生きていこうと思わせた喬太郎の高座をこんなに近くで見ることができるのかー!。ドキドキ。
 喬太郎の演目は「時そば」でしたー(高校時代落研でやったよー)。まずい蕎麦屋の屋号がなんと「キッチン稲葉」!。破壊的にまずいがそのそば屋の勘定ごまかすために必死にほめどころを探す男がまあとにかくおかしかったです。
 そのあと、ロビーの自販機で飲み物を買おうとしたら、喫煙コーナーにいたロケット団、くらもっちゃんと遭遇。おお。
 白鳥のジャージのような着物と、ほんとうにけだるそうに高座に出てくる喜多八も見ることができて満足です。
 古今亭菊丸の「片棒」も面白かったですね。前日、NHKの「笑いが一番」で古今亭菊乃丞の「片棒」を見たばかりで、また違う面白さを味わえました。からくり人形と笛や太鼓のくだりでかばかしさが炸裂するこの噺。好きですねー。
 時間の関係でトリまで見られなかったのですが、その後立ち食いそばの店に飛び込んだのでした。単純だあ。
 
 
 
 
 
 
 

九州吹き戻し

9月に立川談四楼の高座を見ました。生で聴いた落語がとてもよかったので感激していると、周りくわしい人がいて、鈴本演芸場での日曜朝の早朝寄席のことを教えてくれました。出演していた古今亭朝太の「粗忽の釘」のおもしろさにハートを撃ち抜かれてしまい、それ以来むさぼるように、ポットキャストでダウンロードしては若手を中心に毎晩寝る前に聴いています。

先月は、地元で開催された立川談春の独演会を聴きに行きました。ひとつ目の話と二つ目のオチが見事につながるという構成に度肝を抜かれてしまい、帰りに買ったCD「九州吹戻し」はスケールが大きい話で、楽しくて何度も繰り返し聞いています。

来年早々にも既に2つの公演会のチケットを入手。生で聴きたい人が山ほどいます。

好きになり始めは楽しいですねえ。

寄席に行ければ幸せ。上京の仕事があると嬉しい!

前略、

「前略おふくろ様」をスカパーで放送していたので、たまたま見たらやめられなくなってしまった。

 子どものころ、親が見ていたのを覚えているぐらいで。萩原健一の母親役も田中絹代じゃなくてずっと三益愛子だと勘違いしていた。

 職場、親子、兄弟、男女のしがらみの中で、板前見習いのショーケンが顔をゆがめながらもがく様がすばらしく絵になっている。(周りから「あのブス!」といわれている)幼ななじみと晩婚する役の室田日出夫のアップも毎回おかしくて見ごたえあり。
 ショーケンの顔の小ささ、腰の細さ、足の長さ、今見てもすごいし、ガールフレンドの坂口良子もいちいちかわいすぎる(計算してかわいい女を演じているキャラクターなのだが、それでもかわいい)。
「前略、おふくろさま」と何かあるとつぶやく、ナレーションの入れ方も絶妙でいいんですよ。

 1960年代にくらべてぐっと豊かになった1975年(それでも田舎から出てきた若者が暮らすアパートは風呂なしの4畳半一間)。気になるのは故郷に置いてきた年老いた親。
ドラマにも親子関係、世代交代に悩む登場人物がいて、旧い日本のなにがし(人情? 習慣? 文化?)のことをすっかり忘れているけどいいのかい?というテーマが貫かれている。

 昭和50年。この頃の日本は、新聞を読むと「女性アナウンサーにニュースを任せられるかどうか」ということがまじめに議論されていたりして、遠い昔の感がある。

「前略おふくろさま」でも男は女を守るものという前提で会話が進められていく。若い娘が深夜までデートすれば、父親が相手の男を呼び出し、ビビらせる。
 
 自由がないけど守ってもらうのと、好きなことやっていいけど落とし前も自分でつける。35年後の今でもどちらがいいのかなあと思います。
 いやいや、どっちからもいいとこどりしたいんですけど。駄目ですか?

 こんな面白いドラマ26回分見ていたらものすごいエネルギー吸い取られてしまって、仕事がつらいのでした。終わってホッとしている。

 
  


 
 


 



 

「善」について最近知ったこと

 
 最近、手元にいつもある本は、内田義彦著『社会認識の歩み』(岩波新書)です。
 これは、参加している古典の本を読む会で先月の課題図書とされていたものだったのですが、
 期限の先月末までに間に合わず、ずるずるとお風呂の中でも読んだりしていたのでした。

 この本は「私はこのように社会科学について理解をしてきました」という著者自身の認識の歩みを語りながら、 マキャベリホッブス―ルソー―スミス―マルクスという社会科学の歩みをやさしく解説しています。

 1971年の岩波市民講座で語られたものをまとめた内容で、贅沢な市民講座があったものだなあとうらやましくなりました
 (本当は古典の範疇には入らない本ですが)。

 著者は、社会科学を理解するには、書かれていることを日常生活に引きつけて理解しなければならないといいます。
 言葉そのものについても、ヨーロッパの文化の中で使われている言葉をそのまま日本語に置き換えただけでは読み違えてしまうものもあると教えてくれています。
 例えば「参加する」という言葉は英語では、「take part」となって、そこに参加者の一人としてただいるのではなくて、一端を担うという責任を持った意味だということ。また「body」は総体という意味となること(私はそのまんま「身体」だと思っていましたよ)などなど。

 著者は音楽を聞くときに《私はここが好きという形で聞くこと。それが手始めであります》
 と例をあげ、《社会科学の本を読む場合にも、ある程度当てはまるんじゃないか。まず、断片、断片を身につまされる形で知る、そこから始めるべきであります》と、このようなの本で立ち往生しがちな読者を鼓舞してくれます(でも、その文の直後に《もっともそれだけじゃ困るのですが》と断り書きがあるのですけどね)。

 ですので、勇気を持ってどんどん読んでいきましょう。
 
 私はこの本の中で一番シビレたのは「賭ける」ということは、合理的計算ができて(競馬の予想をする人を引き合いに出しています)初めて賭けられるのだから、賭けることは責任を負う方たちで参加をすることという指摘でした。
 そうか、「賭ける」ことはあてずっぽうなことではなくて「責任を負う」というかっこいいことなんだと関心しました。

 それから、ホッブスを解説する項では「善と悪」の「善」という社会科学の中の意味を紹介しているのですが、これも面白いんです。
 私なんかが唯一の意味だと思っていた「よいこと」(「広辞苑」では「正しいこと、道徳にかなっていること」「すぐれたこと、このましいこと、たくみなこと」「なかよくすること」となっています)というような倫理的な意味合いではなくて、《サルトルを読もうとしても三原野球はどうなったかと気になってしまうような》 (時代を感じさせますね)
《精神から排除しようと思っても、知らない間に精神のなかに入り込んでくる》ものが「善」だとホッブスは言っていると解説してくれます。
 ちなみに「新明解」国語辞典(第5版)では「善」は「能力・効果を十分に出し切る」と1番目にあります、こちらの方が近いですね。

 今月の課題図書は西田幾多郎の『善の研究』なので、並行して読んでいるのですけれど、難解ですぐに集中できなくなります。浅田真央ちゃんは大丈夫かなあとか、「アメトーーク」明日見るの楽しみだなあとか、私にとっての善は真央ちゃんや「アメトーーク」で、『善の研究』ではないということです。

 最後にはマルクスが登場します。(『資本論』)「工場立法」について、 
 労働者は必然的に労働時間の短縮が必要になるというマルクスの指摘から
《すべての人間が生存という問題に立たされている。素人といってもずいぶん勉強しなきゃどうにも生きられない》と著者が語るのですが、
 まじめに働いているだけでは、なかなか幸福になれない世知辛い世の中だなあと、昨今の非正規雇用問題などを連想しながら漠然と感じていたことは、もう1800年代からマルクスには自明の問題だったようです。
 

 さて、『善の研究』ですが、その後iPhoneアプリで読むようにしました。夜中にふと目が覚めたとき、枕元の置いておけば、明かりをつけなくても読めるし、周りが暗いのでかなり集中できます。「善」処してますよ。
 
※「新明解」国語辞典(第5版)で「善処」を引くと[政治家の用語としては、さし当たってなんの処置もしないことの表現に用いられる]と書いてあり、ウケます。






 

疲れて避難

 
 間が空いて情けない限り。昨年5月の新潟旅行以来ブログを書いていなかったのねえ。思えば、このころは息子からうつった風邪から咳が止まらない日が一か月以上も続き、柏崎を訪れた前日も、龍角散を飲んだら気管支に入って、ホテルで七転八倒。「もう死ぬかと思った」という体験をしたのでした。

 さて、久しぶりに戻ってきたのは、つぶやければいいやと思って始めたツイッタ―で、最近ツイート疲れをしているから。
 自分のつぶやくことの拙さに嫌気がさして……というほどのことではないのですが、タイムラインに表示される方々のつぶやきに気おされてしまっています(なんかまだうまく使えないし、という恥ずかしい理由も混じっている)。

 ツイッタ―もブログも併用している人が多いようなのでその辺の使い分けは皆さん上手になさっていると思います。あー私はまだまだです。

 昨晩も、R-1グランプリを見て即座につぶやこうかなあと思ったけど、面白かったネタなのに一回戦で敗退しちゃったバカリズムさんがさっそくつぶやいていて、本人のつぶやき以上のものは書くことはできず、そそくさとあきらめてしまいました。敗北感。
 あべこうじさんもおなじぐらい面白かったので、優勝の結果には納得感 です。

 今朝、熱いお風呂に入っていて「そうだ! ブログを書こう!」と思い立ったわけです(おおげさですが)。


 ピアノを習い始めて3年目になりました。
 思った以上に進んでいません。
 先日まで、ロマン派の小品集に取り組んでいました。
 19世紀に作られたピアノを習い始めたばかりの子どもが弾くための楽譜集です。
 当時、貴族階級に代わって、新興した市民階級が求めた、ロマン派の曲。中産階級の子女がリボンを結んだドレスを着てこの楽譜の曲を練習していたんだなあと思うと、不思議な気持ちになります。
 練習曲集なので「ちょっとこの辺で和音の組み合わせを変えてみるか」という作曲者の「どうだ。弾けるかな?」という試されてる感とも闘わなくてはならず、しかもきっちり負けてしまうので悔しさが募る曲集でもあったのですが(もっと練習せい!という黄泉の世界からの先生方からの叱咤も聞こえます)。
 自分が子どもだったころにピアノができなかった母親が、結婚で豊かになり、子どもにはピアノを身につけさせようとした家もあったでしょう。戦後の日本のように。
 私は子ども時代にピアノを習わなかったことをどこかやり残しのように感じていていました。子どもにさせることを自分でやっているだけです。
 幼稚園の時にオルガン教室には通っていたのに、友達と遊ぶ時間が惜しくて、ピアノに進級する前に辞めてしまいました。親も反対しませんでした。ピアノを買うつもりもなかったようです。置く場所もなかったし。
 今思うと、好きなままで辞められたのがよかったのかもしれません。小学校でたて笛吹くのも大好きだったし、あくまでも趣味としてではあるけれど、中年になっても音楽を楽しめているのは親に感謝するしかありません。