疲れて避難

 
 間が空いて情けない限り。昨年5月の新潟旅行以来ブログを書いていなかったのねえ。思えば、このころは息子からうつった風邪から咳が止まらない日が一か月以上も続き、柏崎を訪れた前日も、龍角散を飲んだら気管支に入って、ホテルで七転八倒。「もう死ぬかと思った」という体験をしたのでした。

 さて、久しぶりに戻ってきたのは、つぶやければいいやと思って始めたツイッタ―で、最近ツイート疲れをしているから。
 自分のつぶやくことの拙さに嫌気がさして……というほどのことではないのですが、タイムラインに表示される方々のつぶやきに気おされてしまっています(なんかまだうまく使えないし、という恥ずかしい理由も混じっている)。

 ツイッタ―もブログも併用している人が多いようなのでその辺の使い分けは皆さん上手になさっていると思います。あー私はまだまだです。

 昨晩も、R-1グランプリを見て即座につぶやこうかなあと思ったけど、面白かったネタなのに一回戦で敗退しちゃったバカリズムさんがさっそくつぶやいていて、本人のつぶやき以上のものは書くことはできず、そそくさとあきらめてしまいました。敗北感。
 あべこうじさんもおなじぐらい面白かったので、優勝の結果には納得感 です。

 今朝、熱いお風呂に入っていて「そうだ! ブログを書こう!」と思い立ったわけです(おおげさですが)。


 ピアノを習い始めて3年目になりました。
 思った以上に進んでいません。
 先日まで、ロマン派の小品集に取り組んでいました。
 19世紀に作られたピアノを習い始めたばかりの子どもが弾くための楽譜集です。
 当時、貴族階級に代わって、新興した市民階級が求めた、ロマン派の曲。中産階級の子女がリボンを結んだドレスを着てこの楽譜の曲を練習していたんだなあと思うと、不思議な気持ちになります。
 練習曲集なので「ちょっとこの辺で和音の組み合わせを変えてみるか」という作曲者の「どうだ。弾けるかな?」という試されてる感とも闘わなくてはならず、しかもきっちり負けてしまうので悔しさが募る曲集でもあったのですが(もっと練習せい!という黄泉の世界からの先生方からの叱咤も聞こえます)。
 自分が子どもだったころにピアノができなかった母親が、結婚で豊かになり、子どもにはピアノを身につけさせようとした家もあったでしょう。戦後の日本のように。
 私は子ども時代にピアノを習わなかったことをどこかやり残しのように感じていていました。子どもにさせることを自分でやっているだけです。
 幼稚園の時にオルガン教室には通っていたのに、友達と遊ぶ時間が惜しくて、ピアノに進級する前に辞めてしまいました。親も反対しませんでした。ピアノを買うつもりもなかったようです。置く場所もなかったし。
 今思うと、好きなままで辞められたのがよかったのかもしれません。小学校でたて笛吹くのも大好きだったし、あくまでも趣味としてではあるけれど、中年になっても音楽を楽しめているのは親に感謝するしかありません。