落語から

 週末は都内で、講師の経験がある人や、これからセミナーを開催したい人を対象にした勉強会に出席。登壇してお話してくれた講師経験豊富な方は、「落語が大変参考になる」と発言されていた。
 
 堀井憲一郎氏『落語論』(講談社新書)を読んでいたら、
≪だから、エネルギッシュな落語家は。みな、客の気を読んでいる。元気な落語家ほど空気を気にして、和を考えている。客との和を気にしていない落語家は、まず元気がない。自分がうまくできたかどうかだけチェックしているだけだから、エネルギーを生み出す要素がないのである≫
 という一文がどーんと目に入ってきた。だから和を気にしていない落語家は売れていないというのである。

 聴取者に満足してもらうという点では本当にその通りで、私は今まできちんと考えていなかった。用意したレジュメ通りに進めることばかり考えていた気がする。


 早朝寄席とか、深夜寄席など二ツ目さんの落語を聞くことが多い。彼らにもしっかり、会場のお客さんの気持ちを捕まえようとするタイプと、師匠に教わった通りマクラから話すことに終始するタイプに分かれていて面白い(二ツ目さんといっても、ようやく前座を卒業しましたという人から、そろそろ真打というひとまでキャリアの差がとてもあるのだけれど)。
 私よりはるかに年下の噺家が「お見立て」とか、吉原を舞台にした噺で昭和33年の赤線廃止のことに触れ、なんで廃止したんだ、というマクラだったりすると、軽く驚いてしまう。
 
 同年代の若手真打の師匠たちの話しぶりや、生き方より二ツ目さんたちに自分を見てしてしまう私。生き方が定まらない自分の青さが彼らに感情移入してしまうのだろう。