ユルユルと日記は更新します

七草粥も食べ終わり、お正月が過ぎてしまった。
昨日からの冬の嵐で、玄関の松飾がどこかに飛ばされてしまい、向いの家のアンテナにはビニールが巻きついてひらひら風に舞っている。

3日には家族でスキーに行った。雪の反射がまぶしく、サングラスなしではいられない程の晴天。十数年ぶりに行ったスキー場だが、客層がそのころと違っている。若い男女のグループは極端に少ない。私たちみたいに昔スキーに行ってた層がそのままスライドして家族連れになっているのと、地元色の強い層(学校の授業でスキーがありそうな腕に覚えのある人たち)が多い。

レストランで、隣の席に座った家族連れ。お母さんが、幼稚園児くらいの男の子に「何食べる?」と、聞いたら、「納豆ご飯」と答えていた。

へっぴり腰の息子に付き合ってゆっくり滑っていたら、油断した拍子に後ろ向きに降りてきたスノーボーダーと激突してしまい、太ももに大きな痣を作ってしまった。ちょっと不運な日だった。

その日の夜は裏磐梯のペンションに泊まった。


裏磐梯から戻り、仕事始め。

 3日から4日にかけて重松清の『トワイライト』を読んで、悲しい気持ちになる。多摩ニュータウンをモデルにした「たかがわ」出身の小学6年生の同級生が26年ぶりにタイムカプセルを開けるために再会する話。登場人物全てがそれぞれに湿っぽい現実を背負っている。今の自分と同世代なだけに、身につまされる。
当時の子どもが1970年には「未来」を感じていたという郷愁がベースにある。かといって昔はよかったという単純な懐古の物語ではない。「未来」を信じていた自分をつい懐かしんでしまう、今がダメダメな自分の負けを認める苦い話だ。

 「昔はそんなに良かったのか」という、この頃の昭和懐古趣味に待ったをかけているのが、布施克彦著『昭和33年』(ちくま新書)。
 日本人は他民族と比べて、将来について悲観的で、昔を美化する傾向があると指摘しながら、昭和33年が高度成長期が始まる前の輝ける時代だったのかを、丁寧に検証していて面白い。

 今準備している企画の関係で昭和30年代、40年代をもっと知りたいと思っている。ちょうど、NHKアーカイブスでは、1963年の東京下町を舞台としたドラマと、日本各地の鉄道の駅の風景を切り取った記録番組を放送していた。北国の映像が流れるとやたらに悲劇的で重々しいBGMが流れているのはなぜだろう。雪国の厳しさと、住んでいる人の悲惨さは必ずしも一致しないと思うのだが。ところで、昭和38年の原宿駅は山手線の中で一番乗降客が少なかったらしい。

 6日は、11月に日垣隆氏主催の講座で出会った福島県出身のMさんが帰省してきたので、一緒にお酒を飲む。今度、福島県グループで愛知県に乗り込みますか。