新書・新書

 新書のベストセラーが続き話題になっているが、そのなかで先日朝日新書が創刊された。『新書365冊』(宮崎哲弥著)を買う。題名が面白そうだがどうよ?と思っていた本の内容をかいつまんで知ることができてホント便利。書評の手際の良さは学ぶところが多い、です。ざっと目を通すだけでもここ数年世間で何が語られてきたかを眺めることができる。ダメな本も後ろに列挙されているのが親切。
 
この本には紹介されていないが『若者はなぜ怒らなくなったか』(荷宮和子著 中公新書ラクレ )を読んだ。
 著者は1960年代前半生まれで私とほぼ同世代。団塊世代団塊ジュニア世代に挟まれた「くびれの世代」の著者は<自分より明らかに目上である、という人間が見当たらない場所では何をしてもかまわない><誰が言ったか、誰がやったか、誰のためにか等々のみを重視する人たち>の団塊世代に育てられた団塊ジュニア世代が成人しマジョリティとなった今、彼らが<決まったことはしょうがない>と怒るべき時に怒らないことに大いに苛立ちを感じている。私も属しているくびれ世代はいつのまにか世間の代表になることもなく団塊ジュニアに世間の大多数という位置を明け渡してしまったのである。というか、頭上を通過してしまったのだ。
 著者の怒りが団塊ジュニア特有のものかどうかは私の少ない経験ではわからない。「今時の若いもんは」との区別が分からない。確かに、団塊ジュニアといわれる世代の人たちと一緒に仕事をしていて「反応の少なさ」に愕然としたこともあるが、個人差かもしれない。逆に私が若い頃はもっともっと世間知らずでアホだったような気がする(バブル期入社世代だった)。

 そして、大人層の代表として、このままちゃんと怒らないと、理不尽な扱いのなかで生きてきた女子と同様、男子も同じように弱くて差別されるようになりかねないと警告する。納得できないように国が決めていっても「しょうがない」で良いのか?と。この問いかけには私もうなずける。このごろ国際情勢がきな臭いし、日本がやがて「戦うこと」が選択肢としてセットされていることが剣呑だ
(そういえば、昨日のズームインスーパーで世論調査結果を発表していて「北朝鮮核武装したら日本も核兵器保有すべきか」という設問があって朝から驚いた。そういう発想自体(選択できるかもという可能性)がいやなんだってば)。
 
 各章の最後にある注釈は著者が本文より楽しんで書いたのではないかと思える。例えばP38<10.雑貨/かわいくて、役に立つもの。「鍋敷き」とか。このかわいい模様の上に暑く焼け焦げた鍋底をのせることは一生あるまい、と思えたとしても、「鍋敷き」であることにこそ、「雑貨」としてのアイデンティティがあるのだ。>などなど。面白い。

 ところで、著者は自分のことを「おたく」であると書いている。1980年代前半、「おたく」というカテゴリーが生まれる前、同世代でアニメが好きだった人は単に「アニメファン」だった。女子高時代、彼女達はみんなそこそこ成績が良くて黒髪をストレートに伸ばし、アニメの登場人物の固有名詞が会話に良く登場するので劣等性だった私は近寄りがたかったでした。