地元の開拓者の話を聞く&川崎へ

 私が住んでいる福島県郡山市は明治時代までは「沼しかない」ことで記憶される土地であったらしい(参考『街道をゆく』33 司馬遼太郎著)。明治時代以後急速に農業地、工業地、商業地として開けていくのだが、その発展の礎となった開拓者の存在については小さい頃からよく聞かされていた。
 郡山市の開拓には明治初期の国の事業として、明治11年から当時維新で職を失った武士達による開拓が進められる。遠くは九州の久留米藩、中国地方の鳥取藩から来ていた。
 どうして遠方からはるばると郡山を選んだのかというと、取り持った人の縁というしかないようだ。

 結論から言うと、日露戦争が終わった頃には開拓事業は天候不良に拠る作物の不作続きや、そのために膨らんだ借金で立ち行かなくなり、郡山の開拓者の約8割の人たちは開拓地を後にする。

 その、数少ない、残った人たちの子孫の方の話を聞く会が催された。彼らも開拓者から数えると4代目5代目となっている。彼らは<開拓検証会>の会員である。
 出身藩の文化の継承事業ができるようになったのは30年前からであるという。それまでは余裕がなかったと当時を振り返っていた。
 私の子どものころの記憶でも、開拓者の子孫は農家であり、本業で忙しかったと思う。いわゆるバブルの時代あたりからその土地も住宅地となり、家業大家さんのイメージに変わっている。明治時代の辛酸をなめた先祖が見たらほっとしているのだろうか。
 
 
 夕方から上京し、友人夫妻の住んでいる川崎へ。私のために(笑)「CAR HYPER」という関東ローカルのケーブルテレビの番組を見せてくれる。一応レースや、チューニングカーや自動車ディーラーの情報番組なのだが、ベースはバラエティ&お色気(古い?)番組。地上波では絶対放映は無理というような中身の濃い「ドッキリ(ナンパ系)」があり、リアルすぎて見ているほうが恥ずかしくなる。あの仕掛けられた方の名誉はその後回復されたのか?ちょっと心配。