「チャーリーとチョコレート工場」の後味

 昨日借りたティム・バートン監督の「チャーリーとチョコレート工場」を子どもと見る。見終わった後、子どもも私もあんまり良い気分ではなかった。悪い子ども4人とうそ臭いくらい善良な子ども一人が一緒にチョコレート工場見学に招待され、幻覚としか思えないような視覚を体験しながら(食品衛生的にどうよ、と思う工程だし)、悪い子はどんどんひどい目に遭い、罰せられる。極端に悪い子でも、いい子でもない(どちらの素質もある)普通の子どもは登場人物に全然感情移入できないまま終わってしまうのではないか。
 同じティム・バートン監督でも大人が主人公の「ビッグ・フィッシュ」の方がファンタジーとして気持ちが温かくなる。

 と思っていたら、ちょうど読んでいた内田樹の『街場のアメリカ論』の中で「チャーリーとチョコレート工場」について触れられていた。アメリカには根底に子ども嫌いの文化があり、物語が進むに連れて、主人公以外の子ども達を観客は憎悪するようにできているということらしい。この映画に限らず、アメリカ映画では「子どもって本当に邪悪だね」というのを確認するような「ホームアローン」とか、「宇宙戦争」とか、「チャイルドプレイ」とかが量産されていると。

 「子どもはかわいい」をとりあえずの認識として抑えている日本人の視点からでは分からない指摘にはっとしたのでした。
 『モチモチの木』なんて読んだら豆太がかわいくてしかたがないよ。