つるばら 

 パッツン前髪の原田知世大沢あかねと区別がつきません。


 今週は三谷幸喜ウィーク。最新作の映画の宣伝活動のためですが、NHKも協力しているのでびっくり。日本の公共的才能の持ち主ということなのでしょうか。

 昨年植えた宿根草やチューリップはどうやら葉っぱだけ生えて花が咲きそうも無いので、園芸店でお花の鉢を購入しました。
 
 玄関先に小さな薔薇を置きました。
 この光景で連想したのが、「つるばら つるばら」 大島弓子さんの作品です(あすかコミックス 初刷は1988年)。

 主人公の男の子が本当の自分と信じる「たよ子」が住んでいた薔薇の垣根と石段のある家をずっとずっと探している話です。
 主人公が終盤で「本当の自分」や「探さなくてはならない物」が自分の支えであって、それは他の事に替えられなかったのかを少し振り返るコマがあるのですが、結局、形を変えた薔薇のある家にたどりつく。その薔薇の鉢を思い出したのでした。

 主役の男の子は「男として生まれてきた自分」ではなくて、可憐な女性が本当の自分だと思い続けています。
 
 「こんなの本当の自分ではない」と思うことは確かにあります。
 居心地の悪さを感じているのに、その場に合わせてしまう時などです。
 でも、こんなのヤダと迎合しない選択をしないのも自分なんですよね。

 そもそも果たしてもともとの自分なんてあるのでしょうか。
 その時その時必死であるのも自分だし。自分に嘘をついている自分も自 分なんだし。
 
 考え方だって何かしらの影響を受けて素直であればあるほどどんどん変わるものですし。
 
 「つるばら つるばら」の主人公のように本当の自分は決定的な違和感でしか分からないのではないかと思います。