重い枷

原子力発電に関して語ることはなかなか難しいと思っています。

今年夏の新潟中越地震の時の柏崎刈羽発電所の火災の映像や、燃料棒の破損事故の未報告だけではなく、JCOの臨界事故やチェルノブイリの事故などの本当に悲惨な事故まで記憶に残っている中で、原発の事故確率などを発表されてもだから安全でしょとは言いにくい「空気」がありますよね。

しかし、原発をすべて止めたら日本ではかなりの量の石油を輸入しなければならなくなるのではないか、今の便利な暮らしを手放さずにすむには原発は容認しなくてはならないのではないか?とも意識することもあります。

うっすらと疑問を感じながらも、判断をするのは難しいと感じています。なぜなら、原発反対派と推進派の意見があまりにも両極にありすぎて、どちらかを理解するにはどちらかの位置に立たないといけないような気分になるのです。
しかも、原子力という量子物理学の分野、素人は「専門家」の言説をうかがうことでしか、考慮の場所に立てないのです。


武田徹 著『核論 鉄腕アトム原発事故のあいだ』 (勁草書房)は、その両極から距離感を保ちつつ、戦後の核と原発に関しての語られ方、日本の「核」論を検証していてとても読ませます。

アメリカの核の傘に入った日本。核の平和利用も日本独自に進めようとするがかなわず、アメリカ主導によって、当時原発実現化のために国会議員に転身した正力松太郎によって進められます。実際は正力自身は原発の仕組みなどには明るくなく、1955年の委員会の中で核燃料を「ガイネンリョウ」と読んでいたことも明かされているのですが。

この本の中でも触れられているのですが、正力松太郎の伝記、佐野眞一著『巨怪伝』の中に出てくる「ウラン爺さん」の話は私にも衝撃的でした。
1980年代後半には一気に反原発に世論が動くまでの、もう一方の日本人のブレ方を如実に表すエピソードです。

1955年当時の日本の原子力ブーム。
原爆や第5福竜丸被爆が記憶にも新しいはずなのに、手放しでウランの効能をうたっている人がいたのです。反動だったのかもしれません。
そのころ読売新聞は原子力平和利用キャンペーンを繰り広げ反原子力の世論を封じ込めることにやっきになていたようです。
ウラン爺さんと言われた人は、国内のウラン鉱を探し求め、岡山県人形峠のウラン鉱山の経営権を手中におさめます。ウランを万能薬のようにあがめ、粉で野菜を育てていたというから今の感覚からは信じられません(本人も家族もガンで亡くなってしまうのですが)。
こうした極端な例は日本ではなく1920年代のアメリカでも見られたといいます。

私は『巨怪伝』を読んだときには、正力やウラン爺さんだけではなく、原発について当時の世論が歓迎ムードだったことに驚いたことを覚えています。


『核論』では1970年の大阪万博開会式の日、福井の敦賀発電所は送電を開始、原子力発電所はまだ明るさの中で迎えられやがてその後、日本の成長も原発への明るいムードも陰りが見えたと書かれています。



そして、結構衝撃的だったことは、原発の立地地域は決められた安全指針により、人口が増えないことが前提であり、永久的に過疎地域ではなくてはならないというところです。実際、武田氏は原発がある町の駅前に立ち、そのさびれ具合を語っています。地域振興策によって町が賑やかになるということはないというのです。

(その後、原発立地地域に住んでいる経営者に会いましたが、その人のトーンは全く違っていました。原発関連産業で地元が助かっているという実感は間違いなくあるようです。原発がなかったらその地域はもっともっと何にもない町だったのでしょう。都会から来た人とその地域にいる人では「何もない」ということのレベルが違うのかもしれません。)


私の記憶で、反原発について語られるようになったのはスリーマイル島の事故の後だったと思います。

そういえば、高校時代の日教組にいた先生が原発の従業員は就業時間が短く、日が高い内に仕事が終わるため、高校生をナンパして困るとの理由で原発は良くないと言っていました。
(就業時間が短いことと給料が良いことは労働組合にとっては理想的な職場環境ではないでしょうか)

その後、チェルノブイリ事故で世論は一斉に反原発に傾いたのはご承知だと思います。
原発側からは日本の原発では起きえない事故だと説明されましたが、13年後にJCOの臨界放射能漏れ事故が起こってしまいます。
 
著者は「スイシン派」には広報の体制には疑問が残ると言い、非共感的であると言います。
そして「ハンタイ派」にも非共感的な姿勢をとっています。<ハンタイ派は科学的思考を手放すリリースポイントが早すぎる>、<どこまで科学的思考ができるかがよき賭け手になるための必要条件だろう>と指摘をしています。

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ところで、原発で利用された放射性廃棄物プルサーマル(ウラン燃料の再利用)で、95%はリサイクルされますが、5%がどうしても「高レベル放射性廃棄物」として手元に残ってしまいます。それはガラス固化体になっ青森県六ヶ所村で貯蔵されるのですが、2020年までに40000本排出される計算だそうです。
それを地中深く埋めて、放射能がほぼなくなる数万年間置いておく場所を現在公募しているのです(私は最近わかりました。その埋設先を調査する候補地として高知県の東洋町が立候補し、その町長が選挙に敗れ、新町長により白紙撤回されたのは記憶に新しいですね)。

それから先も原発を今と同じレベルで稼働していけば、第2第3の候補は必要になります。 

感情としては、とてつもなくウルトラCなことやっているように思えます。 

そもそも太陽以外で人工的に核融合すること自体がウルトラCなのではないかという気もします。
この選択でよかったのか、原発だけがエネルギーの確保の問題、CO2排出を解決する一番の近道と断定していいのかどうかもわかりません。

もっと良い方法がないのかとやはり思ってしまうのです。

電気業界側は、日本で太陽光や風力、バイオマスなどの新エネルギーをどんなに進めても、電力需要の5%しか供給できないと言っていますが、それは本当なのでしょうか?

これから先、科学の力は新しいエネルギー開発に貢献できるのでしょうか。
(それを私は一番期待しているのです。ムシが良すぎるでしょうか。)