「偉大なる暗闇」

 『三四郎』を読んだ。内田樹の『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)に出てくる<謎の先生>の例として夏目漱石の『こころ』の「先生」と並んで『三四郎』の「偉大なる暗闇」と言われる先生があげられていて(パッとしないけれど何故か引き付けられるのは『謎』と思わせる先生のキャラクターによって、生徒が勝手に興味を持つからで、主体的な学びとは何かを説明している)、気になったからだ。

 主人公三四郎の友人に「偉大なる暗闇」と言われている広田先生は、膨大な知識の量と、日露戦争後の明治時代にいて、日本を「亡びるね」と言い放つ達見の持ち主であるが、一方で自分の住まいもひとりで決められない生活能力の無さや、出世しない様からうだつの上がらない大人として描かれる。

 しかし、後半広田先生自身に降りかかった災難について三四郎が心配し尋ねると、悠然と「若い人正直に驚きはしない」と構え、事の全体像を俯瞰していて、大人の余裕を見せる(広田先生カッコいい!と一躍ヒーローに思える瞬間である)。広田先生は今の私とは同じ年ぐらいであるが、世間に対してこのようなスタンスでいられることが羨ましく感じる。

 『三四郎』は熊本から東京に上京したばかりの学生が新学期(この時代は9月から入学だったらしい)から年末までの約3ヶ月間で新生活に翻弄される物語だが、東京の何もかもに驚いて<この劇烈な活動その物が取りも直さず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる>と自分の存在がガラガラと崩れていく心情は自分の約20年前上京時の気持ちをよみがえらせる。もちろん、こんなしっかりした言葉では言い表せずに、不安でもやもやしていてしかたがなかっただけなのだが。