悩むことは仕方が無いのかも

 学生時代の哲学の授業の思い出は・・教授が講義をし終わったあと、「言っていることわかりますか?」と教室の学生に向って聞いたところ、手を上げたのは私だけだけだったという光景。という私も何についての説明だったのか全く覚えていないので本当に理解していたとは思えないのだが。
 結局その授業で覚えたのは弁証法の説明の時に黒板に描かれたスパイラルだけだった。

 その後、社会人になってからは立身出世を果たした経営者の名言は好まれても、思想家の金言などはわざわざ言うのも照れちゃう環境で過ごし、「哲学」と直接的に関わることはなくなっていた(なのに瀬古浩爾の『思想なんかいらない生活』を買うのも思想をなめているのだが)。

 最近、内田樹の『知に働けば蔵が建つ』を読んで、今更ほとんど初めて「哲学の効用」を感じることができた。私が感じた効用とは「迷うこと、自分を肯定できないのは永遠に終わらない。それはしかたのないことだ」(病が治るように無くなることはない)。ということである。私の場合「悩み」のなかには中年になっての自分探しというところがあり、傍目にはイタイことでもあるが。

 悩むことについてどう捉えるかは、体を動かすことで生じる筋肉の痛みを苦痛に思うか、筋肉に効いていると意識できるか、に似ている気がする。