白河の関とは・・・

まほろん 奈良時代庶民の家

 白河市内「まほろん」へ。名前が覚えにくいらしく、息子は「マホトーン」とわざと言い間違える。ドラクエのやりすぎ。正式名:福島県文化財センター白河館。建物のほとんどは収蔵庫になっているのだが、展示室で縄文時代から現在までの暮らしの歴史が展示されている。
数年前に、地元の雑誌にここの紹介記事を書いたが、行ったのは今日が初めて
 
 館内のタッチパネルで興味のある時代をテーマごとにドリルダウンして行けるので、小学生の簡単な自由研究くらいならここで済ませることが出来そうだ。連れて行った息子は学習まんがで弥生時代のことだけ知っていたのでそのブースだけは楽しめたようだ。昭和40年ころの茶の間の展示もあり。石の斧を見つけると「ヤンガス使えるかな?」と息子はまたドラクエ話。

 屋外には縄文時代の家や奈良時代の庶民の家、高床式倉庫などの復元展示があり、中にも入れる。ボランティアと思われる人が実際かまどで火を起こしていて、横で石臼で粉をひく体験などをさせてくれる。
  入場料無料。

 白河藩の時代から景勝地だったという南湖公園でお弁当を広げる。子どもは今、雲悌(うんてい)に夢中らしく南湖公園で遊ぶつもりだったが、遊具が何も無く、移動して白河の関森公園で子どもを遊ばせる。雲悌はなかったが、今流行の複合型遊具(階段やら網やら、滑り台やらが一つの固まりになっているもの)でたっぷり遊ぶ。

 公園近くの白河の関(跡)に行ってみる。私は歴史音痴なので、白河の関とは江戸時代まで機能していたと思い込んでいた。が、説明の看板を読むと12〜13世紀にはなくなっていたという。1800年にここが関所だったと当時の白河藩藩主松平定信が碑を建ていて、昭和34年から発掘調査もあり、確かに建物のが点在していた跡があったということは証明されている。しかし、関所だったのかどうかは実は不明らしい。「境の明神」というもう一箇所の関所だったかもしれないところもあるらしく、結局白河の関とは私が思っていたよりもあった時代も役割もあいまいらしい・・・(ちょっと司馬遼太郎の『街道を行く 白河・会津の道』を参考にしました)。
 白河の関の跡地の森には義経が矢を立てた松など伝説が残っている。全国にそんな物語を残しているんだろうな。なんて息の長い人気者であることよ。