サディスティックミカバンドふたたびのふたたび

 先週のミュージックステーションに「サディスティックミカバンド」が木村カエラを率いて出演していたので録画までして見た(もう1週間以上前の話でした)。

 「サディスティックミカバンド」は昭和50年(1975年)で解散してしまったので、私が初めてその存在を知ってアルバムを買った1981年には過去のバンドであった。当時中学生だった私にとって、6年も前のことは遠い遠い昔の時間のことであった。
 「サディスティックミカバンド」が復活するたびに子どもの頃の5、6年の月日と大人になってからの5、6年の長さというか重さの違いを思い出す。
 前回の「サディスティックミカバンド」(桐島かれんがマスコットガール)が活動したのは1989年。17年も前のことだが、その時はもう大人になっていたので遥か昔という感覚は持てない。

 中学時代、すでにこの世に存在していない「サディスティックミカバンド」、特に当時加藤和彦氏の奥さんでもあった「ミカ」への憧れは半端ではなかった。今のように過去のライブ映像が簡単に商品として流通している時代ではなかったから、レコード屋さんで売っているアルバムとそのライナーノーツが当時私が手に入れることができる情報の全てだった。私が住んでいる郡山市で1974年に行われた「ワンステップフェスティバル」というオノ・ヨーコが出たロックフェスの元祖のようなものに出演していたと後から知っては、その場にいられなかった幼い自分が悔しくて仕方が無かった。
 (ワンステップフェスティバルがあることさえ当時小学校低学年だった私は記憶が無いのだが、もう少し年上の人に聞くと「危険だから会場には近づくな」と学校からお達しがあったらしい。)
 大人になってからは、サディスティックミカバンド解散後イギリスに渡った「ミカ」がいろいろあって帰国して1988年に出した自叙伝『ミカのチャンスミーティング』(福井ミカ 中村俊夫著 宝島社)も夢中で読んだ。
 
 オリジナルメンバーの映像を初めて見ることができたのはついこの間のこと。前述した「ワンステップフェスティバル」の記録映像がDVD化されたのだ。

 実際ライブで歌っているのはレコードと違ってキーもかなり低く下げているし(オリジナル通りに歌えているのは小原礼だけだった)、ミカはほとんど歌っていないし、ステキなのかさえ微妙だった。でも見なくちゃ気がすまなかった。
 
 2006年版「サディスティックミカバンド」のアルバム「ナルキッソス」も(一応抑えなくちゃという義務感が強いのだが)購入した。
 木村カエラのアルバムのようであり、メンバー一人一人のソロアルバムのようである。1曲目の「big-bang,bang」は松山猛加藤和彦のコンビでオリジナル時代のファーストアルバム『サディスティックミカバンド』を意識したような「スペースもの」なのかちょっと嬉しい感じ。

 オリジナルの「サディスティックミカバンド」は3枚アルバムを出して解散するが、一枚一枚ごとに世界観が違うし、表現力の進化がすばらしい。
 中学生当時、おこずかいをやりくりして、出た順番に数ヶ月に1枚ずつ買い集めたのだが、そのアルバムを聴く前と聴いた後では自分が確実に変わっているような気がしたことをありありと思い出す。

 その当時の自分に、「中年になった時にメンバーと孫ぐらい年の離れた女の子をミカのかわりにして『サディスティックミカバンド』が三度目の復活をする」ことなんて教えたくないなあ。