我慢が出来ない

 橋本治の『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』(集英社新書)を読んでいる。自分は負け組みの方にいるらしいと思い、このままではいけないのでは?と流行りに弱い私もなんとなくそんな風に思いながら暮らしているのだが、「そんな簡単に、勝ち負けを分けちゃっているけど、そもそも何でそんなこと世の中が言い出したのかちゃんと考えたことがあるのですか皆さん」と提起している本である。本来の意味とはかけ離れた今の経済のありようをわしづかみに語り、もう語るべき経済は無いと言う。
 そして消費者としての私たちは、世界によって欲望を動かされ、欲しいのかどうかも分からないのに欲しいと思わされ我慢と言う物が出来なくなっているらしい・・らしいではなくて、実際に我慢が出来なくなっているのですが。本棚買ったり、すいかのDVDボックス買っちゃったり・・。

 仕事帰りにエレベーターで乗り合わせた勤め先の親会社の人と世間話をしていたが、その人が後20年会社にいられるかなと何の気なしに言う。その会社はいわゆる勝ち組ともてはやされている会社で、業界トップでもある本当の大企業のはずで、私なんかから見ると磐石の身分保障に見えるのだが、それでも自分がいられるのか安心出来ない心境らしい。よほど社会社は危機感を煽っているのではないのか? 
 橋本治のその本では、日本は高度成長期に新しい市場をどこに求めたかというフロンティア論が面白いのだが、もはや国内でのフロンティアは隙間産業かいままで誰もやってなかったことに挑戦することしかないのかもしれない。その誰もやってなかったことのひとつ=とんでもなく安く同じような物を提供するということを、ここ数年、あまりにも歓迎してしまったのではないか。今回の耐震構造計算偽装もそのような「コストダウン」がもてはやされた結果だ。
 ユニクロだって中国人の人件費が上がったらこの先どうするつもりなのだろう?次から次へともっと安く人を雇える国に工場を移していくだけなのか?