「恵まれている」と言うご指摘

昨日はムカついてほとんど眠れなかった。また出合ったしまった「恵まれているね」男にである。
 何について恵まれていと言われたかというと私の容姿ではなく(冗談ですから)、結婚していて子どももいるのに飲み会などに来て「恵まれている」ということなのである。同席しているその人だって家族に留守番させているわけだから同条件じゃないかと思うのだが。
 
 私が恵まれていると言うことは否定しない。その通りである。しみじみと日々感謝しているのだ。私だって。
 
 大体ね、他人の「恵まれている」ことって一々口に出しますか?。なんか卑しいじゃないそんな事言うのって。一見他人から見て恵まれていること(例えば親に財産があるとかね)が見えていても、それには付帯条件があったり、影での苦労もあるのではと慮って、よほど鈍感な人ではない限り口にはしないのではないか?
 なのに、何故か結婚して子どもがいると「恵まれている」「家族に理解がある」(「ので感謝しなさい」)と仕事先で、会合でご親切にも教えてくれる人に出会ってしまうのである。
 私は先ほども書いたが「恵まれている」ということには否定しない。疑問なのは、なぜそんなことをその人自身は言っても良いと判断しているのか?ということに尽きる。
 仕事をしたり、出かけたりするたびに負い目を感じずにはいられないようにしたいのか?
 心配してくれなくたって、いつも迷いながら、後ろ髪引かれながらの外出なのである。それが負担で結婚や子どもを持つことに躊躇する女性が多いのではないか。

 昨日の飲み会は某会の打ち上げである。私は「恵まれた」環境で数年間、その会の会合にもなるべく出たし、雑用や、発行物の原稿の字を埋めたりと時間を使ってきた。別に義務や義理だけでやってきたわけじゃないが。
私があまりにも微力だったのだろう。チャラチャラしているようにしか見えないのかもしれない。
 
これからは、時間が惜しいし、子どもを預ける算段だってその都度考えなければならない。もっと優先順位を整理したい。